2020.03.09
お菓子な博物館 第1回 ~お菓子の歴史編~
目次
1. はじめに
今回より、「お菓子な博物館」として、お菓子に関係する、古くてもどこか味わい深いコレクションを随時紹介していきたいと思います。
菓子文化を未来へ伝える、“お菓子の文化財”ともいえる当コレクションには、パッケージ・広告・道具など、さまざまな分野のものがあるため、何からご紹介すべきか悩むところですが、記念すべき第1回はやはりお菓子の歴史から。
2. お菓子の神様
日本の菓子の起源は、日本書紀にある、田道間守(たじまもり)が、垂仁(すいにん)天皇に命じられ、常世の国から持ち帰った「非時香実菓(ときじくのかぐのこのみ)」=「橘」だと言われており、田道間守は菓祖神とされています。
お菓子の神様である田道間守ですが、ご存知ない方も多いのではないでしょうか。
こちらは陶器製の田道間守像です。高さは約21cm。年代は定かではないのですが、昭和中期頃の物かと思います。残念ながら、お鼻の部分が少し欠けておりますが、今も木箱に入った状態で大切に保管されています。もちろん、手に持っておられるのは、橘の枝です。
3. 明治時代のお菓子屋さん
その後、奈良時代に仏教とともに伝わった「唐菓子」、鎌倉時代に禅宗により普及した「点心」、室町時代末期の「南蛮菓子」などを経て、江戸時代に饅頭、羊羹、落雁等の「和菓子」が発展します。
そして明治時代に入ると、文明開化により「洋菓子」が輸入され、国内でも製菓会社が誕生し、機械化による大量生産時代へと広がっていきます。
こちらは 明治時代末頃の 御菓子製造・西洋菓子取次販売 大槻商店の引札(ひきふだ)です。サイズは26×38cm。
引札とはちらしのことで、各店が好みの図柄を選んで、店名等を入れて印刷したものを顧客に配っていました。暦の入ったものもあり、年末に配られることも多かったので、現代の企業名入のカレンダーのようなものといえるでしょうか。
この図柄は菓子店を描いたもので、店内には様々な菓子が並べられています。奥では職人らしき人達が菓子を作っており、当時の様子が伺い知れます。
そしてもう1点、蒸菓子製造処 松月堂の引札(明治45年印刷・26×38cm)です。同じような構図で描かれているので、見比べてみると面白いです。
このような世相のわかる引札はたくさんありますので、今後もご紹介したいと思います。
お菓子の歴史はまだまだ奥が深いので、また別のテーマでコレクションと共に紹介していきたいと考えております。どうぞお楽しみに。
<今回の展示品>
・① 菓祖神 田道間守像/陶器製 昭和中期頃 高さ21cm
・② 引札 御菓子製造・西洋菓子取次販売 大槻商店/明治末頃 26×38cm
・③ 引札 蒸菓子製造処 松月堂/明治45年印刷 26×38cm
所蔵:株式会社山星屋
yoshi
お菓子と歴史が大好きな、「お菓子な博物館」の専属学芸員。ここでしか見られない、貴重なコレクションを独自目線で皆様にご紹介します。好きなお菓子はロングセラーの定番商品。でも新製品も気になる(笑)